パンドラの箱 [浦和レッズ]
浦和レッズのサポーターになって、15年が過ぎようとしています。
正確に言えば、応援するようになって15年。
サポーターになって14年。
そこにはおよそ半年のブランクがあります。
Jリーグ元年の前の年。
それまでだらだらと開催されていたJSL(Japan Soccer League)がなくなり、ナビスコカップと天皇杯が行われた1992年。
なんにも取り柄のなかった地元浦和に、プロサッカーチームができる!
サッカーの街、浦和は静かに燃えていた。
その中の一人だった私は、明確に浦和レッズを応援するとは決めずに、大宮サッカー場や国立競技場に足を運び、その時そこそこ戦えてたレッズを応援してもいいな、と思っていた。
当時の日本サッカー事情を知っている人ならわかると思うけど、まさかサッカー観に行くのにチケット買って、しかも買おうと思っても買えない状況になるとは、誰も想像すらしていなかったと思う。
そんなJバブルの中、必死でとったチケットを握りしめてスタジアムに通ったのに、我が浦和レッズはとにかく負け続け、あまつさえ、Jリーグのお荷物と言われてしまう有様。
5月に始まったリーグから前半戦が終わる7月まで。
レッズサポの胸の中は、パンドラの箱だった。
悲しみ、怒り、焦燥、憤り、嘆き、苦しみ・・・。
そんな負の感情が渦巻いていた。
只一つの「勝利」という希望は、なかなか顔を出さず。
しかし、泥中の蓮が美しいという言葉さながら、その貴重な1勝の喜びを味わうために、レッズサポーターはスタジアムに足を運び続けた。
そんな私たちにとどめを刺したのは、忘れもしない、1993年7月7日、七夕の夜。
ホーム駒場競技場で、鹿島に優勝を決められてしまった。
目の前で。
世間はJリーグブームで沸き立っていたけれど。
私たちはもう、ボロボロだった。
サッカー処というプライドも、ズタズタだった。
その時から、私はサポーターになった。
こんなできの悪いチーム、私たちが応援してやらなかったら、ダメなんだ、と。
死ぬ気で応援しなければ、優勝なんて夢のまた夢。
だから、本気で応援してやる、と。
サッカー処、浦和をチーム名に冠している以上。
優勝することは、義務なのだから。
最初はそんな、憤りから応援するようになった私も、すっかり浦和レッズがなければ生活は成り立たなくなりました。
お風呂入ったり歯磨きするのと同じように、スタジアムに足を運びます。
今や、パンドラの箱は封印された。
そう思っていました。
でも、神様とは意地悪な存在です。
まさか、最後の最後でこんなしっぺ返しがくるとは思ってもみませんでした。
浦和レッズの選手諸君。
赤いユニフォームを着ている君たちには、強くなる義務があります。
強くなれないなら、今すぐユニフォームを脱いでください。
この悔しさを胸に刻み、身体的にも精神的にももっともっと強くなるために、限界まで努力することができないなら、浦和から去ってください。
来年、応援するチームには、そういう選手しか残っていないことを信じて、またスタジアムに足を運びます。
・・・・あああ、ここにはサッカーネタは書かないようにしようと思ったのになあ(苦笑)
やっぱり私の赤血球や白血球や血小板には、We are Reds !!とかWe are Diamondsとか赤き血のイレブンとか、書いてあるんだろうなあ・・・。
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